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 柚木よしかずは、笠岡市社会福祉協議会事務局長とし、昨年の東日本大震災発生後直ちに募金活動やボランティアスタッフの派遣を積極的に進めてまいりました。
 特に、顔の見える支援が必要ということで、笠岡商店街とつながりがあり、甚大な被害を受けた宮城県南三陸町へのボランティアスタッフの派遣、現地の新一年生へのランドセル156個の支援などスピード感をもち、粘り強く、現地と連絡をとりながらきめ細かい支援を進めてきました。
 そして、事務局長自ら現場を見ることが必要と判断し、2011年12月2日(木)~5日(月)の日程で南三陸復興支援ボランティアバスを企画し、市民ボランティア14名と共に南三陸町へ向かいました。

南三陸支援ボランティアバス(14名が参加) 南三陸の及川さん、当初から連絡をとっている方。
なんとも言えぬ表情で当時の様子を語ってくれた。
街の所々に瓦礫の山。まだまだ復興には程遠い! 語り部の佐藤かつよさんに宿舎に来ていただき当時の話をしていただいた。

 現地で瓦礫撤去のボランティア作業に従事させていただいた。
 大まかな瓦礫は取り除かれているが、基礎だけが残され、その中は土砂で埋ている。重機等でやればもっと早く終わるのに、どうせこの基礎も使うことはない・・・。
 しかし、この瓦礫撤去のボランティアは、被災された方々が自分たちの家をきれいにしてくれるボランティアの姿を見ることによりどれだけ癒されるか!
 今の時期の瓦礫撤去のボランティは被災者の心のケアのためにも必要なことだと知らされた。
 被災地には大きな心の傷を負った方々が数多くいらっしゃる。こんなことは現地に行って見なければ絶対にわからないことだ!
 あらためて現場主義の大切さを身にしみて感じた瞬間だった。
2011年8月に及川さんの蒲鉾工場再開。2012年2月仮設商店街オープンと華々しい復活を遂げた。
自分の工場を1日でも早く復興させ、雇用を確保することが、ふるさと南三陸の復興につながる。
及川さんの笑顔に私たちがいつも元気をいただく。
笠岡希望プロジェクトは毎月1300kmを南三陸に通い続けた。これまでに多くのボランティアを南三陸に派遣し、現地を見ることにより、自分たちの問題でもあると気づく。そう言った気づきを今後の笠岡のまちづくりにも活かすことができればと考える。
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